JR東海ではEF58122号機、EF58157号機の2両が東海道線、飯田線をメインに活躍していました。
EF58157号機の生い立ちや歴史、プロフィールをご紹介したいと思います。

EF58157


EF58157号機
昭和33年(1958年)
三菱電機にて製造、東海道線浜松機関区へ新製配置されます。間もなく大阪・宮原機関区へ貸し出され、今日現在唯一現役としてJR西日本に在籍するEF58150号機と肩を並べました。大阪での活躍は短期間で浜松機関区へ戻り、同区受け持ちの優等列車「西海」「高千穂」東京-広島間の先頭に立ちます。その他、神戸-東京間で「銀河」や東京-米原間で「能登」大阪-米原間で「日本海」も担当しています。前述の122号機同様、東海道新幹線の開業のために活躍の場が縮小、東京-大阪間で「金星」、東京-京都間で「出雲」を担当

昭和40年(1965年)
超長距離牽引となる東京-下関間で「雲仙・西海」下関-新大阪間で「夕月」のほか東海道線での普通列車、荷物列車が活躍の場となりました。同機も誕生当時の姿はぶどう色でしたがこの頃、新標準色(青色)に変更。
昭和50年から55年までの5年間

東京機関区配属の122号機とは異なり花形列車の担当は少なかったのですが東京-名古屋間で寝台特急「いなば・紀伊」を担当。ブルートレインの先頭に立ち最盛期を過ごしました。(東京発の特急列車をEF58が担当するのは10年振りのことでした)それとは裏腹に東京・汐留-下関間の荷物列車を主に担当、月間2万キロという他のEF58と比べ最も過酷な裏方的役割をこなして行きます。昭和58年、同僚だった元お召し専用EF5860号機が引退。浜松所属のEF58にも最期が迫ります。
昭和59年(1984年)2月
新製配置以来長らく過ごした浜松の地を後にしてゴハチファンの間では有名な「下関集中配置」に馳せ参じ約1ヵ月間、最後活躍を演じます。その後、現場の温情から浜松で最終運用を離脱、古巣へと戻りここで一度引退。そのまま民営化を向かえ国鉄清算事業団管理車両とになりますが、浜松工場で大切に保管されます。
昭和63年(1988年)
当時機関車が不足していたJR東海の手で奇跡の復活を遂げます。その後、前述の122号機と同じくイベントや臨時列車、トロッコファミリー号に使用され活躍を続けました。同僚の122号機が先に引退しますが飯田線での工事用列車を中心に最後の活躍を続けます。
平成18年(2007年)11月
誕生から50年を目前にしたついに現役引退、翌年3月除籍されます。その後、浜松工場で保管されリニア・鉄道館への収蔵保存が決定。
平成23年(2011年)3月
誕生当時のようにぶどう色へ変更、細部の修復を経て美しい姿でファンの前に蘇る事となりました。


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